「保育園の時は大変だったもんね。ボクしゃべれなかったから、お友達もボ クが何言ってるか分からなくてさ」「でも、今は、しゃべれるからいいよ ねー」「あー、しゃべれるようになってよかった」
息子に異変が起きたのは、平成○○年の夏、1歳9ヶ月の時でした。 まっすぐ歩くことが出来ず、持ったコップから水がこぼれるほど、手が震えたのです。その後、様 々な検査を受けるも、はっきりとした原因は分からず「急性小脳失調症」との診断を受け、個人差も あるが、3ヶ月~1年で自然に落ち着くと説明を受けました。
1年経過する頃には、震え等の症状は落ち着いたものの、言葉の遅れを心配した医師のすすめによ り耳鼻科を受診。異常はみられず。「あ」「ん」などの単語と身振り手振りにて意思疎通は出来てい たため、「まぁ、男の子だし、遅いだけ」と言いきかせて過ごしていました。
3歳児健診の際にも「様子をみましょう」「入園後のお友達からの刺激に期待しましょう」という ことで、入園当時は、ほぼジェスチャーでのやりとりでした。
入園しておよそ2ヶ月。園より今後の指導に不安があるとの話をいただき、すぐに3歳児健診でお 世話になった臨床心理士さんに連絡をとり、県の発達相談を受け、発達支援の受け入れ先を探し、園 とは別に週に1度通いながら、やっとたどり着いた某●●センター。息子は4歳3ヶ月になり、発語 に関しては何の進展もない状態でした。結局ここでも「まだ年齢的にもこれから伸びる可能性は充分 にある」「様子をみましょう」で、特に進展はありませんでした。
そうして保育園、年少・年中をわずかの単語(単音)とジェスチャーで何とか乗り切り、いよいよ 年長。入学を控え、さすがに家族にも不安が募りましたが、受けている支援を続けていただきながら、 時が経つのを待つしかないという、非常にもどかしい日々を送ることしかできませんでした。
そんな我が家に転機が訪れたのは、平成○○年の6月。年長となり2ヶ月が経ったころ、小学校の 「ことばの教室」の先生による就学前の「言葉の検査」があったのです。兄が通学中の学校の先生で あったこともあり、すぐに個人面談となり、その席で「梅村先生」をご紹介いただいたのです。 前置きが長くなりましたが、そんな状態で、初めて梅村先生とお話し、息子の状態を説明したとこ ろ、「お母さん、今まで何やってたの?」「もう年長でしょう?」「様子を見ている場合じゃないで しょ」「日程決めるからすぐに来て」と…。
えっとー、上記諸々してきたわけですよ。様子見てる場合じゃないのは重々承知の上ですが、どこ に行ってもそう言われるんですけど……。不安だらけの中、6月末に面談を受けさせていただき、7 月6日より「親子ことばの相談室」に週2回通室することになりました。(この時点で某発達支援事 業所は退所)
息子が話せないのには、きちんとした理由があり、それは経過をみていれば改善させるものではな く、適切な指導が必要なのだといいます。それまで、母音しか話せない子だと思っていた息子は、子 音と併せて音を作り上げることができなかったのです。(違ってたらゴメンナサイ…その通り!) 梅村先生が作ってくれる「音」での遊びも交えながら楽しく吸収していく息子は、あっという間に 「ママ」と呼べるようになり(それまでは「ぱぱ」)、通室の度に、口からでる「発音」が増えてい きました。〔 [m] が [p] に置換されていた 〕
あわせて、9月には就学予定の小学校の「ことばの教室」への通室が決まり、週に3度、我々が願い続けた「ことばに特化した支援」をいただけることになったのです。そんな日々が過ぎ、11月に は、「さ行」「ら行」の他、句読点、促音、拗音などの細かい部分以外は、だいぶ話せるようになり、 園での様子も会話で伝わるまでになっていました。12月に開催されたクリスマス会でも、元気いっ ぱい踊り、歌っていました(自信がないため口パクですが…)
言葉で伝える事ができず、自己表現が少なかった息子が、どんどん自信をつけ活発になっていく魔 法のような半年間。これまではいったい何だったのか。もっと早く出会いたかったと何度も思いまし たが(今でも思っている)、梅村先生に出会う前に彼が受けていた支援は、先生と出会うための準備 だったんだと思うようにしています。
・友達には分かってもらえないと知っていて、すぐに先生の所に行く。
・欲しいものがあっても自分では表現しようとせず、すぐあきらめる。
・「やってみる」という姿勢がない。
・自信をもってやれることしか、やらない。
そんな彼が、園では、体の不自由なお友達を助け、先生を独り占めして、ゆっくりと自分の思いを 伝える時間をいただき、精神的にだいぶ成長させていただいたからこそ、相談室での指導の間、一度 も席を離れることなく、母(家族)が待つ部屋に来ることもなく、貪欲に「言葉」を学べたのだと思 います。
そして、当初は、1年以上かかるだろう。従って、入学までには間に合わない。と言われていた指 導も、平成□□年4月5日。入学式の2日前にことばの相談室を卒業する運びとなりました。
『今まで何やってたの?』『様子を見ている場合じゃないでしょ』
行政を頼り、必要とする支援先を探し、支援を受け、ただひたすらに「様子をみましょう」「成長 する子どものチカラを信じましょう」と言われ過ごした日々の中で私自身が常に感じていた思いでし た。町役場職員をはじめ、保育園、受け入れ先施設、支援員の方々、県の相談担当者、医師のみなさ ま、数多くのスペシャリスト(だと思っていた)を介しても出会うことの出来なかった、理想の指導 者に巡り合わせてくれたのは、学校の先生だったのです。「専門分野」の大切さを痛感しました。 言葉のスペシャリストの存在を「言語訓練士がいるから」と選んだ支援受け入れ先の職員ですら知 らない現実を目の当たりにしたのです。
指導さえ受けられれば改善、いえ解決する問題だったのに、その指導者に巡り合うまでの道のりの 長かったこと…。
金銭的なこと、家族や周囲の理解等、支援を受けたいと思っても、なかなか進めない状況もあるこ とも知りました。幸い私は、夫はもちろん、同居する夫の両親の理解もあり、思うままに息子のため に走ることが出来ました。担当職員にも恵まれ、親身にもなっていただきました。園の先生など貴重 な時間を割いて息子のために尽力くださり、関わって下さった全ての皆さまに感謝はしております。
息子は元気いっぱい小学校に通い、音読や計算カードといった宿題にも意欲的に取り組んでいます。 そんな彼がある日、「保育園の時は大変だったもんね。ボクしゃべれなかったから、お友達もボク が何を言ってるか分からなくてさ」「でも、今は、しゃべれるからいいよねー」「あー、しゃべれる ようになって良かったー」と言い出した時には驚きました。保育園時代、そんな風に感じていたなん て思いもしなかったからです。
今もなお、小学校の「ことばの教室」にお世話になっている息子ですが、しっかりと「ことば」で コミュニケーション(会話)ができております。梅村先生を結び付けてくださった宮宿小学校の渡辺 先生には、本当に感謝いたしております。
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